登る人No.027 佐藤裕介さんの厳冬期黒部横断 (トークイベントレポート)

登る人No.027 佐藤裕介さんの厳冬期黒部横断 (トークイベントレポート)

クライマーとしての存在感
 登る人主催の5回目のトークイベントは佐藤裕介さんをお迎えして開催することとなった。佐藤さんは言わずと知れた日本を代表するアルパインクライマーであるが、単にアルパインクライマーというには多様すぎるジャンルで活躍する、山の世界でも稀なタイプである。「いろいろなジャンルでクライミングすることが僕は大好きで」と話し始めた佐藤さんは、「沢登りもすごい好きで、・・・氷を登ったり、パキスタンのビッグウォールも」と、とても一人の人間がしているとは思えないようなクライミングシーンの写真で次々とわたしたちを驚かせてくれる。今回、わたし自身の希望で、厳冬期黒部横断の話をしていただくようにお願いしていたが、ほうぼうからこれが聞きたい!とリクエストが上がり、それを聞くたびに迷いが出た。確かに聞きたい話は山ほどある。でも、まずは厳冬期黒部横断だ。
なぜ厳冬期黒部横断なのか
 わたしが厳冬期黒部横断の話を選んだのには理由がある。黒部横断というのは、後立山から入山し、黒部川を渡って立山の稜線から富山側へ下山するものである。登って降りてまた登って降りて、そしてまた登って降りる。そんなふうにして東から西へつなぐ山行だ。佐藤さんは言った。「日本、特に本州周辺で一番厳しいことをやろうと思うと、厳冬期の黒部横断になるんじゃないかなあという気がして継続して今もやってます」スクリーンに映し出される厳冬期の黒部は、人がいていいところには思えないほど、恐ろしく美しいものだった。自然のさじ加減一つで簡単に計画が破綻するような世界。それは簡単に人の命を奪うような世界でもある。自然に翻弄されながらその隙を縫うようにして駒をすすめる危うさが際立つ厳冬期黒部横断は、いわゆるグレードという数字で表すことができるようなものではなく、先人たちの記録とともに俯瞰しながら、ひとつひとつの決断と行動とその結果を知ることで全体像が明らかにされていく山行なのだと考えていた。だから佐藤さん本人から語られる厳冬期黒部横断は、聞くべきもの、ぜひたくさんの人に聞いて欲しいものとして常に頭の片隅にあった。
5回の厳冬期黒部横断
 厳冬期黒部横断の話は、2008年の山行から始まった。スクリーンに映し出されたのは、雪崩で1.2kmも流され、奇跡的に生還した横山さん(ジャンボさん)だった。雪にまみれ、額から血を流し、放心状態のような表情が事態の大きさを物語っている。その山行のトラウマはのちの佐藤さんたちの厳冬期黒部横断に少なくはない影響を与えた。
 様々な要因でその後の厳冬期黒部横断は敗退を余儀なくされている。佐藤さんは「その(敗退行)ひとつひとつ意味のないものなんてことは全然なくて」と言い、「黒部横断で成功した山行にろくなものはない」と黒部横断のパイオニア的人物である和田城志さんの言葉を引用した。それは敗退することと充実感は案外強く結びついていて、自然に翻弄されながらも、もがいてあがくことこそが、厳冬期黒部横断の面白さだとでも言っているかのようであった。そして、ついに5回目にそれまで思い描いていた厳冬期黒部横断に成功した。しかしその成功は天候や条件に恵まれたからだと言い、「この山行だけして、八ツ峰に登ったという感じだと実はそんなに充実してなかった。」と佐藤さんは苦笑いをした。あっさりできてしまったら面白くない。充実感は、雪にまみれ、寒さや恐怖と向かい合った過去の敗退があったからこそ、なのだ。
ゴールデンピラーという課題
 5回目の黒部横断で一区切りついた佐藤さんは、翌年をパタゴニア遠征に当てた。その遠征は黒部横断とは正反対の、快適なアパートでパソコンから得る好天の情報を利用してライトアンドファーストで攻めるクライミングだった。「うーん。いいんだけど」何やってるんだろうという気持ちになった。快適さが逆に後ろめたかった。頭に浮かんだのは黒部のゴールデンピラーのことだった。
 黒部のゴールデンピラーというのは、剣沢大滝の左側にある垂直に切り立った壁のことである。「これが非常にクライマー的には魅力的で。魅力的って言っていんですかね。登ることを想像するだけで恐ろしくなっちゃう。そんな僕らにとって威圧感のある壁でした。登るべき壁だとは思うんですけど、登っちゃいけないなっていう」こんなことしていたらいくら命があっても足りない、とでもいうような含みを醸し出していた。
 登ってはいけないと自分に言い聞かせていたにもかかわらず、もがき苦しむ黒部横断が恋しくなり「来年はやっぱり伊藤さんとこれ行こう」と2015年に再び後立山に舞い戻った。
黒部のゴールデンピラー
 最初のトライである2015年は敗退に終わり、2016年は新たに宮城さんをメンバーに加え、佐藤さん、伊藤さんの3人でのトライとなった。雪崩のリスクを回避するために必要な3日間の好天を待つ山中での雪洞生活は19日間に及んだが、結局思うようなチャンスは訪れなかった。残りの日数があと12日ほどになったとき、とりあえず行ってみようと雪洞をあとにする。偵察すらも危険ではあるが、何もせずに帰るよりずっと成果がある。次の山行につながるからだ。
 いよいよ目の前にしたゴールデンピラーの威圧的な姿に参加者たちは息を飲んだ。食い入るように見ていると動画には「行っちゃう?」という誰かの声が収められていた。会場からは「?!」という吹き出しが目に見えるかのような反応があった。佐藤さんはその様子に気が付いたのか「どういう状況になっても一応生きながらえることができるんじゃないかという見通しを結構強引につけて、じゃあ行っちゃうか」と3人で合意したと解説してくれた。とはいえ、もはやここまでくるとなぜそう思うのかを理解することは難しく、クライマーってそういう生き物なのかと半ば唖然とした気持ちで見守るしかなかった。
 このゴールデンピラー登攀の詳しい様子は、佐藤裕介さん自身が書いた記録をROCK&SNOW No.072で読むことができる。それを読めば会場に来られなかった方々にも、素晴らしい写真とともにその山行の様子を感じていただけるはずだ。トークイベントでは、厳しいトライの様子を動画も合わせてお話いただき、会場内からは時折ため息交じりの感嘆の声が上がっていた。
日本の登山に思いをはせる
 大げさかもしれないが、佐藤裕介さんのトークイベントを開催できたことで、日本の登山史の目撃者にでもなったような気分でいる。そんなところが日本にあるのか。そしてそんなことをしている人がいるのか。厳冬期黒部横断の話を初めて聞いた時の驚きは今も新鮮なままだ。過去から語り継がれるような記録がいつの時代になってもその輝きを保ち続けているのだとすれば、わたしはそれと同じようなものを自分の目で見たような思いがするのだ。
朝日陽子