登る人No.029 大西良治トークイベント「称名川本流、単独完全遡行」レポート

登る人No.029 大西良治トークイベント「称名川本流、単独完全遡行」レポート

2018年10月31日、6回目となった登る人主催のトークイベントを大西良治さんをお迎えして、名古屋で開催した。定員40名を上回る参加者の中には関東や関西、北陸から来られた方もあり、聞く機会の少ない大西さんの報告への期待の高さを感じさせた。

大西さんに講演をお願いしたいと思ったのは、今から2年ほど前だ。称名川本流の単独による完全遡行を成し遂げた直後「ROCK&SNOW 074」に掲載された短い記事に「おそらく、もうこれ以上のことはできない」と書かれていたのを目にしたことがきっかけだった。もうこれ以上のことはできないというのは、どういうことなのだろう?困難な沢登りのほとんどをソロで行い、日本の沢登りの限界を押し上げ続けた人が言う「もうこれ以上」という言葉に、ただならぬものを感じ、その意味を知りたいと思ったのだ。

「称名川本流 単独完全遡行」とは、北アルプス立山連峰を源流にもつ称名川にある、日本最大の滝である称名滝(350m)と日本最大のゴルジュである下ノ廊下(1.7km)、その上流部にあたる中ノ廊下と上ノ廊下をつなぐ、日本最難の沢登りだ。

特に下ノ廊下は「最初に見たときはこんなところ人間が行けるところじゃないなあという印象だった」と大西さんが語ったように、雪解け水が流れ込む低水温の激流、極寒、頻発する落石などの危険に身をさらしながら、手掛かり足掛かりなどないようなツルツルとした側壁を数日をかけてトラバースしていかなければならない。また、谷は狭いV字型になっていて、200m近い高さの側壁の上部は鼠返しのようなルーフになっているため、脱出できるかどうかすらわからない地形になっている。

そのため下ノ廊下遡行の可能性を探る偵察が、8回にもわたって行われた。大西さんは今までの沢登りで偵察をしたことはない。「グレードはどのくらいですか?」という会場からの質問に、大西さんは同じく北アルプスにある剱沢が7級だといわれていることと比較して、称名川の下ノ廊下の難しさを9級だと答えた。剱沢は大西さんのブログSOLOISTで『ごく限られた者にしか遡行を許していない険谷中の険谷であり、沢登りを追求するものにとってまさに頂点に君臨している沢である。』と書かれている。その剱沢ですら偵察はしていないという。難しさは数字で簡単に換算することができるものではないが、この比較は、下ノ廊下が今まで誰も体験したことのないレベルの谷であることを物語っている。下ノ廊下を「日本最後の地理的空白地帯」と形容することがあるが、地理的にということ以上に、生身の人間の通過が技術的に可能なのか、そして精神的にその厳しさに耐えられるのかという点においても未知であることを内在する。要するに、誰も行ったことがない場所に足を踏み入れる最初の人間が抱える危険や恐怖・不安が、それまで沢登りの対象とされていた谷とは段違いに違うということなのだ。そういう意味で、偵察が必要だった。
大西さんは「全部を通す(完全遡行)っていうのはもっと難しいんで、10級かな?」と言い「存在しないですけどね、10級」と付け足して笑っていた。(ちなみに一般の登山者が楽しむ沢登りは3級くらいが多い)

偵察の翌年である2013年の秋、大西さんはついに下ノ廊下の初遡行を3回に分けて成功させた。これにより以前に登っていた称名滝と中ノ廊下、上ノ廊下を合わせてすべて遡行したことになり、称名川本流の遡行は完成した。しかし大西さんは「一応一通り行ったことにはなるんですけど、どうしても下から一本の遡行として繋げたかった」と、未知は解明されたが、この称名川の遡行を分割という形のままで終わらせることはできなかったと語った。
そして、2016年10月称名滝から源頭である浄土山までをつなぐ称名川本流の単独での完全遡行を13日間かけて成し遂げた。その時のことを「これまでの沢人生最大の目標にたどり着いたという事実が、深い喜びと大きな開放感を心にもたらした。やっと称名のすべてを終えることができたのだ。」(ROCK&SNOW 074)と綴っている。

トークイベントでは、その完全遡行の様子をたくさんの写真と動画を交えてお話いただいた。想像を絶する遡行中のエピソードを、笑うと目尻の下がる優しいお兄さんという印象の大西さんが穏やかに語るギャップが、時折参加者の笑いを誘っていた。
記録の詳しい内容については、大西さんが書かれた記事を読んでいただくことをお勧めしたい。大西さん自身が語る読み応えのある記録からその遡行の様子を感じ取っていただけるはずだ。(文末の参考文献をご参照ください)

そんな「称名川本流、単独完全遡行」を2016年に成し遂げた大西さんが「おそらく、もうこれ以上のことはできない」と書いてから今年で2年がたった。今も勢いはとどまることなく厳しい渓谷へ足を運んでいる。一体何が大西さんを突き動かしているのだろうか?称名以降、記録にキャニオニングによるものが目立つようになってきたことに、ヒントがあるように思ったが、日本では子供も楽しめる夏のレジャーのイメージが強く、ストイックな印象のある大西さんと結びつかない。そこで、今回は称名川の話に続いて、少し時間を割いてキャニオニングの話もしていただくようにお願いしていた。

2013年に海外チームが初下降して以来、まだ下降者のいない、キャニオニングで世界最難レベルの谷、ニュージーランドにあるグルーミーゴルジュ。以前、沢登りで挑戦したが、ゴルジュ入口の滝に阻まれ、撤退を余儀なくされた谷だった。
スクリーンに映し出されるキャニオニングの写真はまるでどこかの惑星を探検するSF映画の世界のようで、曲がりくねる細い谷の中は側壁が覆いかぶさり薄暗く、谷底では白濁した激流が青白く光っている。そんな中をキャニオニング独特の技術でロープをセットし、さまざまな方法をとりながら下降していく。

ある場面では、水の勢いで白く泡立つ釜をロープもつけずに対岸へ泳ぎ渡っていた。角度を変えて撮られた写真で、その釜は50mの滝の落ち口にもなっていて、流れに吸い込まれればそのまま滝を落ちてしまうことは避けられないことがわかると、会場からどよめきが起こった。
大西さんはキャニオニングについて「水の流れを読んで、どのラインでいくかというのを読むのがすごく重要で、失敗すると危険というか死ぬ確率が結構ある」と言いながらも、そこが「キャニオニングの難しいところで、面白いところでもあります」と解説した。たった十数分のスライドで今までのキャニオニングのイメージが崩れていくのを感じるほど、衝撃的で理解不能な世界がそこでは繰り広げられた。

「おそらく、もうこれ以上のことはできない」
それは、称名滝の登攀のあと落ち口から初めて下ノ廊下を目にしてから7年、53日間を費やした称名川の単独完全遡行に向けられた言葉だった。日本でそこまで費やさなければいけないほどの谷は他にはない。称名川はそれほど大きな存在だった。そしてトークイベントが終わったとき、わたしたちが知ったのは、日本最難の沢登りを成し遂げた大西さんが求めていたのは「初遡行」という冠ではなく、誰も見たことがない渓谷をこの目で見てみたいというシンプルな欲求だったということだった。沢登りの限界を押し上げ続け、沢登りでは入り込めない渓谷に行く手段として、難しいキャニオニングにも挑む大西さんの行動原理は「そう、こんな景色が見たかった」(ROCKCLIMBING 005)という言葉に全てが込められているようだった。

朝日陽子

【参考文献】
〈称名川本流 単独完全遡行〉
ROCK&SNOW 074「OnSite01」
ROCKCLIMBING 001「称名川本流単独完全遡行」2017/2
山と溪谷 2017年 1月号 「究極の渓谷登攀」
岳人 No.085 「次元を超えたゴルジュ 称名川下ノ廊下遡行」2014/7

〈ニュージーランド グルーミーゴルジュ〉
岳人 No.841 2017/7「世界の溪谷探訪 ニュージーランド、水と氷が創り出す深き峡谷へ」
岳人 No.852   2108/6「ニュージーランド グルーミー・ゴルジュの下降に挑む」

〈その他〉
ROCKCLIMBING 005 「世界最大級の峡谷「台湾・恰堪渓」のキャニオニング3」
宮城公博『外道クライマー』東京 集英社インターナショナル 2016年
SOLOIST(大西さんのブログ) 剱沢 2011年10月7日から10日 単独

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