登る人No.022 年賀状 

登る人 No.022 年賀状 

 角幡さんから年賀状が来た。チラッと見た表(通信面)には極夜の旅かデポ旅行かの写真が印刷されていて、文字などは何も書かれていない。何かのイベントの記念品として作られたハガキかなと、いらない想像をしながら何気なくひっくり返し、瞠目した。宛名面は横書きされていて、右上に貼られた年賀用切手の下に赤い文字で年賀とちょっとくねっとした感じで書かれている。その下にはわたしの郵便番号と住所、それに名前、左下には角幡さんの名前が右肩上がりの文字で書かれていた。そしてただの年賀状のはずのものを、まったく違う次元のものにしてしまっていたのは、残り4分の1の空間の真ん中に書かれた一言だった。
「田舎暮らしはどうですか」
これだけ、である。年賀状ならば当然のあけましておめでとうございますの慣例的な挨拶もなく、今年もよろしくお願いしますという関係をつなぎとめる言葉もない。ただシンプルに「田舎暮らしはどうですか」と書かれているだけなのだ。さすが、角幡さん。普段から社会の枠組みの外へと言っているだけのことはある。この送られてきたハガキが年賀状という形態をとっているのは、むしろ年賀状という社会の枠組みを明らかにし、その上でその年始の挨拶をすっ飛ばすことで、自分の立ち位置を表している、まるでそんな主張をしているかのようだった。

 わたしは、ハガキを手に極寒の家の中で立ち尽くした。ハガキ一枚に託された角幡さんの社会の枠組みへのアンチテーゼに言葉を失ったのと同時にこの言葉が頭にこびりついて離れなくなったのだ。
「田舎暮らしはどうですか」
この言葉の意味は一体なんなのだろうか。
角幡さんは、去年鎌倉の田舎に引っ越したそうなので、同じ田舎暮らしを始めた者としてどうかと聞いているのだろうか。それならわたしの答えは、「快適ですよ。というか、大して田舎暮らしらしい暮らしはしていませんけどね。笑」だ。事実、今住んでいる家は、田舎の家というほど古くも悪くもなく、隙間風がビュービューと入り、床がギーギーときしむということもなければ、この家では誰も死んでないのでお化けの心配をすることもない。それに田舎暮らしといえば、自給自足のような、庭で野菜を作り、森で拾ってきたもので何かをこしらえ、薪ストーブで料理したり暖をとったりするという手間のかかる生活が付随してくるものと考えるのかもしれないが、そういうものを特に望まないわたしの生活は、街の一人暮らしとさして変わらないのではないかと思うほど快適だ。

 ここまで考えて、ふと、角幡さんはそんなありきたりなことを聞いているのではないかもしれないと思い返した。もっと思想的な、根源的な質問としての「田舎暮らしはどうですか」。
田舎暮らしというものを、日本の人口の5割が東京・名古屋・関西の3大都市圏に集中するなか、都市で人生を送るというマジョリティ的立場から脱出する行為であるとして、わたしに「田舎暮らしはどうですか」と質問したのかもしれない。だとすると、わたしはどう答えるのだろうか。
うーん。
そんなたいそうなことは考えていないのだが、確かに家を一歩出ればお金を使うところしかないという都会での生活に比べればお金を使うところ自体があまりないせいか支出は抑えられ、いちいち手間がかかるということはあるが、せかせかと追い立てられるような時間の使い方を必要としない分、仙人のような生活だなあとのんびり思うこともあるし、それがかえって世の中のスピードについていけなくなっているのかもしれないという焦燥感となって心を不安にさせることもある。ああ、もう元には戻れないかもしれないと引き返せないような気持ちになることもしょっちゅうだが、それは街の真ん中で働いていた時にも感じていたことだし、どちらがいいとか悪いとか、そういうふうな捉え方は意味がない気がしている。
思想的な、根源的な質問としての「田舎暮らしはどうですか」という問いなら、答えは、「どこに行っても同じだなと思いますよ。」という感じだろうか。

 ハガキを手に部屋の真ん中で立ち尽くしながら、こんな感じで一巡り考えたところで、ふと我に返った。部屋が寒すぎる。気がつけばハガキを持つ手が凍傷になるんじゃないかというほど感覚を失っていた。わたしは、急いでストーブのボタンを押し、点火するまでの数十秒をストーブと向き合って正座し、早く暖かい空気を出してくださいと祈りながら待った。ぼっという音とともに熱い風が吹き出し、ジンジンとする指先がほんのり温かみを持ち始めた頃、わたしの頭は正常に戻り、もしかしたら角幡さんはそんなことを書いたことすら忘れているのかもしれないなと思うにいたった。
たぶん大した意味などない。あけましておめでとうの挨拶を書いていないのも、書いてなかったですよと聞けば「そうだったっけ?」と返す姿が想像できる。であれば、わたしの答えはもうこれしか浮かばなかった。

「寒いですよ、とっても。」

 翌日、いつもの山の風景の中を車を走らせながら、また角幡さんの「田舎暮らしはどうですか」という質問のことを考えていた。昨晩降った雪は山肌を白く染め、そこに差す日の光が独特の陰影を与え見慣れた風景を新鮮なものにしていた。きれいだなあと思わずつぶやく。そういえば、こっちに来てから何度もこんなふうに目が醒めるような思いをしてきた。こういうことは、街に住んでいた時にはあまりなかった。
「田舎暮らしはどうですか」
その答えの一つはこういうことなのかもしれないなと言葉にはできない何かを感じ、どことなく満足な気分になった。

 と、ここまで書いておいてなんだが、田舎暮らしがどうとかは本当はどうでもいい。本当に言いたいことは、角幡唯介という人物を知り、その思想や行為を知った結果、角幡さんの一言にいろんな含みを見出してしまったり見出そうと妄想ともつかない思考に陥ってしまうようになったことが重要だということだ。それは生活の糧にはならないかもしれないが、豊かさを与えてくれた。多様な考えを受け入れるための寛容さも得られたと言えるのかもしれない。
 わたしにとって、この「登る人」を続けるということは、山や自然を舞台にした、本多勝一的に言う「命の危険を冒して」「自分の意思で」、かつ「現代的意味」を持った行為を深く知ることで、淡々と過ぎていく日常において驚きを伴った非日常に触れていたいという欲求を満たす作業である。自分自身も山に行くが、山に行く行為そのものが形骸化され枠組みに収まっていきがちである点をどのように打破するのかというわたし自身の課題に、彼らのような人たちに触れることで多様で独自な考えを自分の行動に持ち込めるようになれるのではないかとも思っている。
 そういえば、宮城公博さんのことを知り、「こんな人が世の中にいるのか!しかもすぐ身近に!!」という衝撃がこの「登る人」を始めたきっかけだった。そしてもうすぐ5年目を迎える。需要はないかもしれないが、続けることで何か見えてくるものがあるのかもしれない。
 ほそぼそとした活動ではあるが、引き続きお付き合いいただければと思う。

朝日陽子

〈参考文献〉

本多勝一 文庫版『日本人の冒険と「創造的な登山」』 山と溪谷社 2012年