登る人No.021 「絶望しかない極夜」 (角幡唯介トークイベントレポート)

登る人No.021  「絶望しかない極夜」
(角幡唯介トークイベントレポート)
   
 「極夜」と聞いても、寒々とした氷の世界と太陽が昇らない真っ暗な世界くらいしか思い浮かばない。想像の及ばない未知の世界を80日間歩き続けた角幡さんの話を真っ暗なトークイベントの会場の端で聞きながら、事前の打ち合わせで「鈍感」という言葉が出たことを思い出していた。それは「あなた、鈍感よね」という使い方の意味ではなく、昔の極地探検の本を読むと感じるような、図太さというか、豪快さというか、どっしりとした貫禄のようなものとしての鈍感さである。また、どこか自分の生死に対して淡白という意味もその鈍感さに含まれる。極夜探検を経た角幡さんはどこか変化していた。途中で計画を変更せざるをえなくなり、結果的に極夜の一番暗い時期を80日間歩き続けることになったのだが、「予定していたよりもより極夜の深いところを旅できたのかな」と壮絶な探検の様子を淡々と語る姿が、かえって角幡さんの探検家としての凄みというか、別世界を生きる人というのはこういう感じなのだろうかと思わせた。

 そういった鈍感さを感じさせる話に六分儀をなくしたというものがあった。六分儀とは現代のGPSのようなもので、天測で自分の現在地を計測する道具だ。「迷ってどこにいるのかわからなくなって迷い死にするっていうのを一番恐れていた。」と言うように、無事帰還することと戻れなくなることを左右する、もっと言えば生死に関わる道具の喪失であるにもかかわらず、角幡さんは「これはゆゆしき事態なんですけども、もうなくなったものはしょうがないので」とそのまま探検を続けてしまう。

 また、相棒である犬の食料が足りないことがはっきりし、狩りをするためにジャコウウシの群れを探して比較的安全な小屋を離れ、内陸へ歩を進めた時の話も強烈だ。風もなく音もない、ジャコウウシの足跡だけが広がる荒野のような最果ての地で、強い空腹感を抱え、寒さを覚えるようになったことで衰弱してきていることを実感したという。「この先行ったら(中略)残った食料と自分の体力を考えたら、もしかしたら帰れないかもしれないと思って急に怖くなって」と引き返した時の気持ちを語った。それまで角幡さんの鈍感さにどこか安堵して聞いていたのだが、「だんだん絶望していった」という言葉に極夜の本当の姿を見た気がし、なにか恐ろしいものに飲み込まれるような感覚に襲われた。

 ほの暗い映像が続き、心なしか寒気を感じていた。そして、「極夜が駆逐されつつある」という角幡さんの言葉の後、ついに火の玉のように燃える太陽がスクリーンに現れた。凄まじいブリザードの雪けむりにぼやけた太陽と興奮気味の角幡さんの声。会場もスクリーンに映し出された太陽に照らされて明るさを取り戻した。なんとも言えない暖かさを感じ、やっと極夜が明けたのだと、まるでその場にいるかのような錯覚に陥った。生きて帰れる、そんな感覚も太陽はもたらした。

 「だいたい僕、伸びちゃうんですね、話すと。」そう前置きをして話し始めて2時間半。すっかり時間が押していることに照れ笑いを浮かべる角幡さんは会場を見渡した。準備活動を含めて35歳から41歳までの人生の中で体力的にも精神的にも充実する年齢を費やした極夜の探検をたった1時間半の予定時間で語れるはずがない。
 この長い歳月をかけた極夜探検が、そして絶望の闇ののちに目にした太陽が、ノンフィクション作家として描かれ、本になる。どう表現するのだろう。角幡さんの見た極夜世界にゆっくり浸れる読書の時間が楽しみでならない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 今回の投稿は、2017年6月13日にウインクあいち(愛知県名古屋市)にて開催した角幡唯介さんのトークイベントの記録として作文しました。

 無事に帰られ、2度目のトークイベントにご出演くださった角幡唯介さん、ありがとうございました。また、会場にお越しいただいた参加者の皆様、イベントの成功にお力をお貸しくださった皆様にもこの場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
名古屋で面白いイベントをしたいと今も画策中です。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。


朝日陽子