登る人No.024 熱いピーチティーに上書き保存された記憶

登る人No.024 熱いピーチティーに上書き保存された記憶

 この前の年末年始に、大峰山脈の横断というのをやった。雪に覆われた1600m前後の山脈越えや凍った谷の遡下降を含めた2泊3日の行程で、辺境クライマーのけんじりこと小阪健一郎さんからの誘いを受けてのことだった。
 けんじりさんは、沢登りで数々の記録を発表した沢ヤである。ちょっと変わっていて、どうやって返答したらいいか困るようなことを言うこともあるが、それでも一昨年の佐渡島、この前の年末年始の大峰と、自分では決して手が出せない大きな計画に声をかけてくれるのだから、ありがたい存在だ。

 大峰山脈横断の1日目、ヘロヘロになりながら稜線へと登り着いたわたしをそんなけんじりさんは、「遅い」と不満そうに迎え、わたしのザックに入っているテントポールを早く出すように促した。どうもすいませんね・・・と心の中で軽く悪態をついたが、遅いのは事実だし、あと2日間、ついていける自信が全くなく、弱気な気持ちが心を埋め尽くしているわたしには到底言い返すことはできなかった。どうせわたしなんか・・・といじけて見せようかとも思ったがそんな力すら使い果たしていたので、言われた通りにザックからテントポールを取り出し、言われた通りにテントを張る手伝いをした。

 テントも張り終わり、気がつけば辺りは真っ暗。ヘッドランプを灯し、狭いテントで向かい合って水作りを始めた。とりあえずご飯である。
 食料担当のけんじりさんはお湯で戻して食べられるものをいろいろ持ってきてくれていた。
パスタにα米、カレー粉や高野豆腐、コーンスープ、お茶漬けのもと、ココア、フリーズドライのおしるこも用意してあった。
 お湯を沸かしてパスタを食べる。パスタにはコーンスープをいれて味付けをする。パスタにコーンスープ?初めての組み合わせだが、そんなに悪くはなかった。温かいものを食べられるだけで幸せだ。α米も湯で戻して、お茶漬けのもとをかけて食べた。わたしはα米にトラウマがあり苦手であったし、普段の山では炭水化物をダブルで食べたりはしないが、昼もまともに食べられずエネルギーが枯渇した体には、胃から養分がしみ渡っていくのがわかる。心なしか寒気が薄らぎ、体もほんのり温まってきたようだった。そして食後は年末年始だしということで、おしるこ。けんじりさんがこういうことを考えるのかという驚きがなくはなかったが、心遣いが嬉しかった。

 食事も終わりほっとしたところで、けんじりさんが履いていたネオプレーン製の靴下をバーナーの火を使って乾かし始めた。わずかにネオプレーンソックスの独特の匂いがする。
 炎を上げるバーナーは見た目にも暖かさを演出した。けんじりさんは靴下を乾かし終わると、次はグローブを火にかざした。ガスの残量は大丈夫なのかな?今回、ガス缶は厳冬期用をひとつしか持ってきていない。乾かし始めた時からなんとなく頭に浮かんでいたものが明確に疑問となったのは、ガス缶の側面についている凍った結露がだいぶ下の方だけになっているのに気がついた時だった。燃焼中、ガス缶自体は冷えてくる。そうすると、液体ガスが入っているラインを示すかのように結露で水滴がつく(寒いとそれが凍る)。それがさっきは半分くらいだった。その時けんじりさんに「ガス残ってる?」と何気なさを装って聞いてみたが、まだ大丈夫、装備は乾かしたほうがいいと説きふせられるに終わり、わたしの方も頭が働いていなかったので、そのままやり過ごした。しかしそれからもまだガスを使っている。疑問は頭から消えない。改めてガス缶をよく見ると、下から4分の1もないくらいのところがうっすらと凍っているのが目に入った。
 しばらくして、けんじりさんは火を消してガス缶を振った。ガス缶の中でシャラシャラ鳴った。ああ、これはほとんど入っていないガス缶の音だ。もう一度言うが、ここは年末年始の大峰山脈。計画は2泊3日、火を使うのは明日の朝、夜、明後日の朝と3回。周りは雪。北アルプスなどに比べれば、寒さは厳しくはないが、それでも水を作れないことや温かい食べ物が食べられないということが、冬山登山としてのリスクにはなり得る。
 わたしは、このガス缶の残量がほとんどないという事実を完全に理解した時、大きな後悔に囚われた。昨晩、装備チェックをしていた時に、ガス缶は2つ持っていくでしょ?と聞いたわたしにけんじりさんは1つでいい、前は3人で1缶で十分だったと言っていたことに反論しなかった。それを大いに後悔した。
 要するに、二人のザックのどこを探してもガス缶の予備はないのだ。ほとんど空のガス缶1つがあって、計画はまだ2日間あるのだ。
 「ガス缶ないけど、この先どうするの?」と聞いてみた。敗退するならこのまま稜線をたどって尾根を降りるのが最短になる。しかし、というか、やはりけんじりさんの頭には敗退などという文字はなかった。「行くでしょ。」

 次の日の朝、湯を沸かせないので、昨日作った水で朝食をとった。寒さが和らいだせいなのか、自分を守るために意識的に体が寒さに対して鈍感になるように仕向けているのかわからないが、なぜか冷たい食事もそこまで辛くはなかった。
 その日の夜もガスは温存した。幸い比較的標高が低い場所で幕営して、沢の水を使うことができたおかげで、水でパスタを戻し、α米を食べることができた。高野豆腐を水で戻して、ココアをかけて食べるけんじりさんを見て、食への感覚が狂っていくのを感じた。こういう人と出かけるということは、こういうことなんだなとも思っていた。
 今日は大晦日だったな。冷たいおしるこを飲み干しながらそんなことを思い出して、ちょっと切ない気持ちになった。
 唯一残っていたガスを使って湯を沸かしたが、500mlの水を生ぬるい状態に持っていくのが精一杯でガス缶は力尽きた。

 そしてあくる朝、無事に年が明けた。

 そういえば大晦日の晩、こんな会話をした。大晦日なのに、冷たい食事ばかりですっかり心も冷たくなっていたわたしは、つい「熱いお茶が飲みたいなあ、ピーチティー持ってきたのを熱いお湯で飲みたいなあ」と口走ってしまった。それを聞いたけんじりさんは、「熱いお茶が好きなのか」と何度か繰り返した後、「熱くなくても飲めるでしょ、水で飲めば」と言ってきた。ちょっと腹が立ったので、「熱いお湯で飲みたいんだよ。熱いお茶を飲みたいの。気持ちの問題!」と言い返したら、少ししてこんな返答が帰ってきた。「ほら、目を閉じて、想像してみて。ここは南の海。ビーチで熱いピーチティーを飲んでいる。気持ちの問題だったらこれで大丈夫でしょ?」
ため息しか出なかった。


 いろいろあって、本当はもっと違うところでけんじりさんの実力を感じたはずなのだが、もうすっかり思い出せなくなっている。そもそもなんで南の島のビーチで熱いピーチティなんて飲まないといけないんだ。普通アイスでしょ。そんなくだらない反論が全てを上書きしてしまったのだった。