登る人No.031 結局、できそこないのイグルーで眠る

登る人No.031 結局、できそこないのイグルーで眠る

2017年の冬から、雪山登山にテントを持ち込まず、イグルーだけで寝泊まりをするということを一つの目標にしている。しかし初めてイグルー作りに挑戦した年から、3シーズンを費やしているにも関わらず、未だ自力での完成に至っておらず、天井がふさげていない、できそこないのイグルーにツェルトをかけ、夜を明かすという事態が続いている。

ちなみにイグルーとは、イヌイットというカナダやグリーンランドの極北に住む人々が雪のブロックで作るドーム状の天井を持つ家のことだ。世界最初のドキュメンタリー映画と言われている「極北のナヌーク」を見ると、ドーム型に美しく積まれたスノーブロックの壁に四角く穴を開け、そこにぴったり合うように切った透明な氷を埋め込み窓を作り、太陽光が反射して室内に入るように雪の反射板をつけるなど、子供が秘密基地を作るような手作業に見えるが、生活に根ざした工夫が込められた精巧なイグルーを見ることができる。

そんなイグルーを現代の日本において積極的に活用しているのは、北海道大学山岳部だということを同山岳部出身の米山悟さんの著書「冒険登山のすすめ: 最低限の装備で自然を楽しむ」で知った。その中ではイグルーの作り方が丁寧に解説されていて、登山において実用的な技術としてのイグルーの存在を知ることができる。

おそらく一般的にはイグルーという言葉そのものは知っていても、自分には関わりのない単なる雑学的知識でしかないだろう。わたしも同様だった。しかし、自由な発想で既成概念を打ち破ることが登山をすることの意義のひとつだと捉えるようになり、角幡唯介さんの近著「極夜行前」で、極北の地で命を守るためのイヌイットが持つ技術のひとつであるイグルーに得体の知れない憧れを抱き、米山さんの著書からテントを使わず、イグルーのみで雪山山行が可能なことを知ったことで、一気にイグルー熱が盛り上がり、自分でも作ってみて、その中で眠るという体験をしたいという強い欲求が生まれたのだ。

最初の年は、雪が多く、降雪直後の鈴鹿山脈に日帰りで入山し、標高900mそこそこの樹林帯の中の雪の斜面での初挑戦が可能だった。雪を50センチほど掘り下げ、圧雪された層からちょうど勉強机の薄い引き出しくらいの大きさのスノーブロックを切り出し、少し内側にずらながら、全体がドーム状になるように積んでいく。しかし半分を超えたころから手で支えていないと全体が内側に崩れて落ちてくるようになり、それ以上積めなくなったために天井をふさぐことができず、時間もなくなり未完に終わった。とはいえ、ブロックをノコギリとスコップできれいに切り出すことができたことや、天井がふさげていなくてもブロックで囲まれた空間は思いのほか暖かいことに満足し、次は完璧なイグルーを作れるだろう、思ったより簡単だとホクホクした気持ちで下山した。

しかし、そうは問屋がおろさなかった。
その後2回ほど、中央アルプスや奥美濃など、雪が降ったところを見計らって遊びたい衝動を抑えてイグルー作りのためだけに1泊2日で入山した。だが、いずれも最初と同じ理由で天井をふさぐことができず失敗した。しかも、その2回の計画はテントを使わないことを前提として行っていたため、夜はできそこないのイグルーの天井をツェルトでふさぎ、入り口はザックでおおうという、緊急ビバーク訓練を強いられることになった。
起床すると、寝ているのうちに体温で室温が上がったせいか、もともと内側に傾きかけていた壁はさらに傾きを強くし、まるでいまにも崩れ落ちそうな雪庇のように頭上に垂れ下がっていたし、ブロックの隙間から吹き込んだ雪が寝ていた自分の体の上に積もっているという快適とは程遠い状況となっていた。

思いのほかイグルー作りは奥が深いのかもしれない。自力ではいつまでたってもできそこないのイグルーを生産し続けていることになりかねない。言い知れない不安な気持ちが膨らんだ。そこで成功体験をし、完成のイメージを強く持つために、北海道大学山岳部出身の友人羽月さんにイグルー作りを直接指導してもらうことを決意した。そしてこの冬、北海道へと向かった。

せっかく飛行機代をかけて北海道まで行くならと、目的地をニセコにし、ニセコルールを作り雪崩事故防止に取り組む、新谷暁生さんの宿ウッドペッカーズに宿泊して、木々が林立する宿の裏庭で、イグルー作りの実技訓練をさせて頂いた。
新谷さんによると、スノーブロックを作るのに適した雪質になりやすい地形というものがあり、場所選びも重要なポイントのひとつであるとのことだった。また、羽月さんによると、慣れたメンバーが2人いれば1時間ほどで完成することができ、風が強い稜線上での停滞でも快適に過ごせるものが作れるという。

羽月さんはテキパキと作業をこなしながら、その都度解説をしてくれた。自分が今まで作っていた方法と一番大きく違う点は、ブロックを薄く切るのではなく、昔のブラウン管テレビのように四角く大きく切り出すことだった。

抱えるほど大きくて重いブロックを隣のブロックとぴったり合うように形を整え、隣のブロックと密着させながら膝くらいの深さに掘り込んだ直径120センチの穴の輪郭に合わせて並べている。それがまず1段目となる。1段目のブロックの上の面を内側が低くなるように斜めに削り、その上に2段目を内側にずらしながら積み上げていく。傾斜した1段目の上面のせいで隣同士のブロックが内側に傾きながら密着した左右の側面で支え合うことによって、ブロックが崩れ落ちることを防いでいる。同様に3段目も積み上げると天井はちょうど一人が顔を出せるくらいの大きさになり、大きいブロックならもう1段、小さいものならあと2段も積めば、天井がふさがるようになっていた。

そして2時間もすると、目の前には少しとんがった5段の可愛らしいイグルーが出来上がった。中に入り、天井を見上げると、中心に向かって集まっていく模様のようにブロックがきれいに積み上がっている。天井がふさがったイグルーは静かで、暖かく、安心感を与えてくれた。このまま家に持って帰りたいほど素晴らしくステキなものに思えた。

わたしはできあがったイグルーを見て、自分にもできるという自信を強く持つことができた。コツは雪のブロックの形と積み方にあったのだ。今シーズン中に、確実に自分の力でイグルーを完成させて、来シーズンに難しくない山域でいいから、イグルーを使って数日間を要する縦走をする、そんな以前からの夢が現実味を増してきたことに喜びを感じた。

そして3月も中旬を過ぎたにもかかわらず新雪が降った数日後、今シーズン最後の挑戦の日を迎えた。勇んで奥美濃の山に入り、適した雪がありそうな地形を探して真っ白な尾根をたどった。しかし、どう見ても去年より雪が少ない。前回来た時は、木々がこんなに姿を現していなかった。

嫌な予感を感じながら、適地と思われるところでザックを下ろし、雪を掘ってみる。スコップで簡単に崩れる柔らかい雪を80センチほど掘り下げると、ガリガリの氷の層が出てきた。ニセコの雪を掘った時も、こんな感じで氷の層が出てきたのを思い出した。その時はさらに下にブロックにちょうどいい硬さの雪の層が出てきたので、もう少し掘ってみる。しかしスコップで氷をガンガン砕いてみても一向に雪の層は出てこない。それどころか下の方に黒っぽい地面のようなものが透けて見え、氷の層が一番下まで続いていることが想像できた。一緒に行ったメンバーと、最近の天候を思い出し、2月に白馬でも雨が降るほどの日があったのが原因ではないかと話しあった。白馬より標高の低い奥美濃もおそらく雨だったのだろう。しかも大量に降った雨は雪の表面だけではなく、もともと少なかった積雪に浸透しながら地面に達し、その後氷化してガチガチに固まったのではないかと状況から予想ができた。
諦めきれず、場所を変えたり少し標高を上げたりして雪を掘ってみたが、どこも同じ結果だった。

「雪、ダメっぽいですね」

想定外の理由で今シーズンのイグルー作りはあっけなく失敗に終わった。自然条件に身を委ねる登山のリスクは、テントという便利な道具を手放し、自然にあるものを利用するという方法をとることで、如実に目の前に現れる。雪のブロックが取れないという予想外の事態を受け止めきれない気持ちのままザックを背負うと、今度はビバーク適地を探して尾根を少し戻った。その晩は塹壕のような穴をツェルトとシートで塞いでその中で眠り、翌朝下山した。

朝日陽子

参考文献:
米山悟 「冒険登山のすすめ: 最低限の装備で自然を楽しむ」東京 筑摩書房 2016年

角幡唯介 「極夜行前」東京 文藝春秋 2019年